HAL8192のモノリス達

何故、自分がポンコツになったかを嬉しそうに語る。

SWを蹴った作品「トゥモローランド」

SW7を夢に見た人間が真面目に1億人は超えるだろうし、その監督を出来るなら人生の全てを捧げても構わないという人間も少なくなかったはずだ。そんなSW7の監督を蹴っても監督することを選んだのが、「トゥモローランド」だ。

f:id:HAL8192:20180425153748j:image

映画監督はブラッド・バード(代表作はアイアンジャイアントMr.インクレディブル)彼はSW7を蹴ってでも、この作品を選んだ。

そして、興行的には成功したとは到底言えない結果になった……

 

あらすじは宇宙飛行士を夢見る17歳の少女ケイシーは、ある日、自分の荷物の中に見慣れないピンバッジが紛れ込んでいるのを見つける。ピンバッジに触れたケイシーは、テクノロジーの発達した未知の世界「トゥモローランド」に迷い込むが、ほどなくして元の世界に戻ってきてしまう。そんな彼女の前にアテナと名乗る謎の少女が現れ、「再びトゥモローランドに行きたければ、フランクという男を訪ねろ」と言う。このことをきっかけに、ケイシーは人類の未来をかけた冒険に出ることになる。引用元 映画.com

 

この作品は個人的にはとても面白いのだが、とても難しい問題が付きまとっている。それは「生まれ持っての才能」がないと、ユートピア(トゥモローランド)に行けないのか?

 

という命題が常に付きまとって、それを解決していない。というよりも「生まれ持っての才能=未来への希望」という風に好意的に解釈する必要を感じる。

 

そもそもこの「トゥモローランド」自体が何のメタファーになるのか?と考えればそのまま「ディズニーランド」に見えてくる。

 

それは主人公の葛藤と監督のキャリアとの密接にリンクしていて、ディズニー帝国からピクサーへ移行し、そこでの地位がディズニー帝国復興に生かされて行くという監督自らの物語であり、敵としているキャラクターと自分の存在はとても近い選民思想をしているようにも見て取れる。

 

しかし、それは違うと私は見た。選民思想ではなく「未来」という希望を捨てるかどうかという点、ただそれだけの違いなのだ。


生まれ持っての「未来」を諦めなければならないとそう現実を突き詰める敵でもありますが、希望を諦めないという普遍的なテーマを描いているのが、「トゥモローランド」だという作品だとも言えます。


きっと最後に勝つのは「」を持ち続けた人だというディズニー的な素晴らしい作品だと信じています。

 

総論としては興行的には失敗に終わり、SW7を蹴ってまで選んだ作品には見えないかもしれませんが、私にはそれだけの情熱を注ぎ込んだ映画に見えてなりません。